言いたい放題!KO-1's Blog

古今東西の好きな音楽などを中心に徒然なるままに・・・

「フォーク・ソング・コレクターズ・アイテム」シリーズ

フォーク・ソング・コレクターズ・アイテム

1967年初春に企画され、同年10月新譜からスタートしたフォーク・ソングのLPシリーズ。
立案者は、当時月刊誌『ポップス(POPS)』で、ニュー・ディスク・レビューのフォーク欄を担当していた中村とうよう
日本ビクター株式会社(以下「ビクター」)、キングレコード株式会社(以下「キング」)、日本コロムビア株式会社(以下「コロムビア」)のレコード会社三社合同企画として1967年10月新譜からスタートした。
その後、コロンビアが米CBSの契約解消のため離脱、日本グラモフォン株式会社(以下「グラモフォン」)が加わった。
1年12タイトルの発売後、しばらくの間をあけ、第13回は1969年5月新譜から再開したが、このときはビクターとキングの二社のみ。
第18回発売分まで企画されていたようだがこれは未発売、結果全17枚が発売された。
*以上は、月刊誌「ポップス」1970年9月号(高山宏之)の記事を参考にしました。

保有盤のうち、第12回発売のライトニン・ホプキンス盤は、日本プレスではなく米Verve盤に日本語解説を封入した仕様 (最近では「日本流通仕様盤」とされている販売形態) 。ライトニン・ホプキンスの単独アルバムとしては、おそらくこれが日本初発売。

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全17枚は以下のとおり(保有盤とネット上で実物の画像を探して確認できた範囲で作成しています。)

  1. ジーン・リッチー/ベスト・オブ・ジーン・リッチー [PRESTIGE/ビクター SJET-7962](THE BEST OF JEAN RITCHIE)
  2. ドック・ワトソン/ドック・ワトソン [VANGUARD/キング SR 135](DOC WATSON)
  3. バール・アイヴス/バール・アイヴス・バラード [UNITED ARTISTS/コロムビア YS-909-UA](BURL IVES / BALLADS WITH GUITAR)
  4. ウディ・ガスリーヒストリカル・レコーディング [ELEKTRA/ビクター SJET-7994](WOODY GUTHRIE / LIBRARY OF CONGRESS RECORDINGS)
  5. マイク・シーガー/マイク・シーガー [VANGUARD/キング SR 154](MIKE SEEGER)
  6. オールマナック・シンガーズ/不滅のオールマナック・シンガーズ [Mainstream/コロムビア XM-27-MSD](PETE SEEGER, WOODY GUTHRIE, LEE HAYS AND PETER HAWES / THE SOIL AND THE SEA)
  7.  エド・マッカーディ/英吉利春歌抄 [ELEKTRA/ビクター SJET-8041(M)](ED McCURDY / THE BEST OF DALLIANCE)
  8. V.A./トラディショナル・ミュージック・アット・ニューポート [VANGUARD/キング SR 183](V.A. / TRADITIONAL MUSIC AT NEWPORT)
  9. V.A./ブルース・アット・ニューポート [VANGUARD/キング SR 187](V.A. / BLUES AT NEWPORT)

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  10. ザ・ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ/ザ・ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ
  11. ジーン・レッドパス/スコットランドの心 [ELEKTRA / ビクター SJET-8067] (JEAN REDPATH / SCOTTISH BALLAD ROCK")
  12. ライトニン・ホプキンス/ブルースの王者 [Verve/グラモフォン FVS-9000]("LIGHTNIN' HOPKINS / THE ROOTS OF "LIGHTNIN' HOPKINS")
  13. マイク・シーガーとペギー・シーガー [argo/キング SR 261]("Mike 'n' Peggy Seeger")
  14. ジャック・エリオット/さすらいの吟遊詩人 [VANGUARD / キング SR 262]("JACK ELLIOTT")
  15. 黒人囚の歌/テキサス州監獄から [ELEKTRA/ビクター SJET-8142]("NEGRO FOLKLORE from TEXAS PRISONS")
  16. カーター・ファミリー/永遠のカーター・ファミリー第2集 [RCA/ビクターRA5389](THE CARTER FAMILY / JIMMIE BROWN, THE NEWSBOY")
  17. ミシシッピジョン・ハート/永遠のミシシッピジョン・ハート [VANGUARD/キング SR 297](Mississippi John Hurt / The Immortal Mississippi John Hurt)
    *V.A.: "various artists"の略
     (  ) 内は英語タイトル

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他人の名前で出ています~EDDIE BOとHUEY SMITH、ふたつの"WE LIKE MAMBO"

ACE RECORDS 515
"I'M SO TIRED / WE LIKE MAMBO" EDDIE BO

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ここに1枚のSP盤がある。
片面は"I'M SO TIRED"、もう片面は"WE LIKE MAMBO"という曲名でEDDIE BO (エディ・ボー)というミュージシャンの名がプリントされている。
このレコードを発売したのはACE RECORDS、ジョニー・ヴィンセント (Johnny Vincent; 1927.10.03.-2000.02.04.) が1955年に立ち上げたレーベルだ。
そして、エディ・ボー (Edwin Joseph Bocage; 1930.09.20.-2009.03.18.)といえばピアニスト&シンガーであり、プロデューサー、レーベル・オーナーなど多彩な面を持ったニューオーリンズの音楽にはなくてはならない人だった。

ところで"WE LIKE MAMBO"という曲はエディ・ボーが演奏しているのではなく、作者 (Smith) とクレジットされているHUEY SMITH (ヒューイ・スミス) 自身がピアノを弾いて、コーラスのゲェリ・ホールらの仲間で録音したものだったよなぁ~と、久しぶりにこのSP盤を聴いていて思い出したのが2ヶ月ほど前のことか・・・

youtu.be

最近記憶力があいまいなんで、自分のiTunesライブラリを検索してみると、出てきたのがこのCD "In the Pocket With eddie bo : New Orleans Rock&Roll, R&B, Soul & Funk Goodies 1955-2007"[Vampi Soul VAMPI 095]

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そんなはずないだろうと、ストアのほうを検索すると、

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なんだコレ?
試聴用のものを聴いてみたところ、全て同じ音源に聞こえる。
念のためSpotifyで検索したところ、この一択のみ。

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いやいや、そんなはずはない。
読み直しましたよ、ニューオーリンズ音楽に関する名著2冊、『I HERE YOU KNOCKIN'』『NEW ORLEANS MUSIC GUIDE BOOK』

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CDも探し出しました。『ヒューイ・ピアノ・スミスハヴィング・ア・グッド・タイム』[P-VINE PCD-93016]

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やっぱり記憶違いなんかじゃない。ヒューイ・スミスの演奏だ!
極めつけは、これ!

f:id:koichi65oba:20180318072056j:plain"HUEY PIANO SMITH / IT DO ME GOOD" [CHARLY 647X (2012.)]
ACEの音源は一切収録されていないのですが、中を開くと

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ドーナッツ盤の中央が、犯人のジョニー・ヴィンセント!痛快です。
そして、2ヶ月かけてようやく見つけた証拠画像・・・無断借用です、スミマセン。

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SP盤の修正ヴァージョンは見つかりませんでした。

あれ?ヒューイ・スミスについて何も書いていなかった。

SLIM and SLAM デビュー準備完了!

前回はスリム・ゲイラードの初録音と自己名義 (SLIM and SLAMとして) の初録音を紹介しました。

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おさらいをしておくと・・・

フランキー・ニュートンの楽団でヴォーカリストとしての初録音
1937.04.15. New York
M-402-2 I'VE FOUND A NEW BABY [VARIETY 571]
M-403-2 THE BRITTWOOD STOMP [VARIETY 571]
M-404-2 THERE'S NO TWO WAYS ABOUT IT [VARIETY 550] (*)
M-405-2 'CAUSE MY BABY SAYS IT'S SO [VARIETY 550] (*) 
青文字(*)がついたものが、スリム・ゲイラードがヴォーカルで参加した曲
曲名の後の [  ] 内が発売されたレコードのレーベルと番号

自己名義 (SLIM and SLAMとして) での初録音
1938.01.19. New York
22318-2 THE FLAT FOOT FLOOGIE
22319-1 CHINATOWN, MY CHINATOWN
22320-2 THAT'S WHAT YOU CALL ROMANCE
22321-1 LADY BE GOOD
緑文字の曲は当時未発売で後に復刻された曲

Tom Lord "The JAZZ Discography"で別テイクとされているものは事実確認されていないようなのでオミットしました。

1月19日の録音の4曲は当時1曲も発売されていないので、もともと発売を前提としないオーディション用あるいはテスト用の録音と考えた方がよいかもしれない。

前回のブログ更新後、スリム・ゲイラードの経歴についていろいろと調べたが、相変わらずよくわからない。

1930年代半ばにはプロのミュージシャンを目指してデトロイトからニューヨークへ。ギター奏者、タップダンサーとしてセミ・プロのような活動をしていたようだ。
本人曰く、メジャー・ボウズ・アマチュア・アワー*1に、毎回違う楽器を演奏したり、演目を変えたり、時には別の名前で頻繁に出演していたという。
相棒となるスラム・スチュアートは、「ザ・ビッグ・アップル」(クラブ?)でジャムセッションに参加していたプロ志向の強いベーシストだったが、「メジャー・ボウズ」という有名ラジオ番組に出演できることを餌に引きずり込んだ。
後に大ヒットとなる「フラット・フット・フルッジー」も、すでにレパートリーとして披露していたようで、ニューヨークのDJマーティン・ブロックが目をつけ声をかけてきた。マーティン・ブロックはスリムとスラムのマネージャーになり、ヴォカリオンとの録音契約にこぎ着けたようだ。*2

そして、80年前の今日、1938年2月17日に行われた録音が実際にレコード (当時はSP盤)として発売されることになる。

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レコーディングのデーターは以下のとおり

1938.02.17. New York
Slim Gaillard(guitar,vibraphone,vocal), Slam Stewart(bass,vocal), acc by Sam Allen(piano), Pompey "Guts" Dobson(drums)
22318-4 FLAT FEET FLOOGEE [Vocalion 4021]
22319-5 CHINATOWN, MY CHINATOWN [Vocalion 4021]
22320-3 THAT'S WHAT YOU CALL ROMANCE [Voclion 3981]
22441-2 TI-PI-TIN [Voclion 3981] 

1月の録音と3曲は同じだが、"LADY BE GOOD"に代えて、"TI-PI-TIN"が録音されている。1938年のビルボード誌を何冊か見てみたが、この"TI-PI-TIN"という曲はシート・ミュージック (楽譜) の売り上げチャートで何度も1位に登場しているので、かなりの人気の曲。レコード会社としては賢明な判断といえるでだろう。(ただし、さすがはスリム・ゲイラード、まともには演奏しておらず、他の楽団などの同年の演奏と比べると全く別の曲に思える。)

レコード番号の順に発売されているのであれば、
ファースト・シングルが,
Vocalion 3981 TI-PI-TIN / THAT'S WHAT YOU CALL ROMANCE"

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セカンド・シングルが、
Vocalion 4021 FLAT FLEET FLOOGEE / CHINATOWN, MY CHINATOWN"

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ということになる。

そして、セカンド・シングルの「フラット・フット・フルッジー」が1938年4月9日付けの米国ビルボード誌のチャートに初登場し、最高2位まで上り詰めるヒットとなる。

「フラット・フット・フルッジー」の曲名表記について、発売されたSP盤のラベルの表記を尊重しました。

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"THE CHRONOGICAL SLIM GAILLARD 1937-1938"CLASSICS RECORDS 705 (1993年発売・FRANCE)
スリム・ゲイラードの初録音からSP盤で発売された曲(本文中青字の曲)が録音順に収録されています。
すでに廃盤のCDですが、ヨーロッパのコレクター・レーベルの多くは早くからネットに移行しており、スリム・ゲイラードの諸作もほとんどがダウンロード版の購入やストリーミング可能です。

「フラット・フット・フルッジー」に関しては書きたいことは山ほどあるので、またいずれ・・・

*1:ラジオ放送された素人参加番組、開始当初はわからないが、スリム・ゲイラードが出演していた頃はすでにブッキング・エージェントのいるやらせ番組となっていた。

*2:レコード・コレクターズ」1986年1月号に転載されたダグ・ロングによるインタビューを元にしています。

マーヴィン・ゲイのパパ?初レコーディングから80年目の日!?

のっけからスミマセン、タイトルはウソです。
いや、半分くらいは本当なので真っ赤なウソではありません。

マーヴィン・ゲイのパパ」というのは、実父ではなくマーヴィン・ゲイの妻の父のことなので半分くらいは本当。

「初レコーディングから80年目の日」というのは、1937年にとあるバンドのヴォーカリストとして録音があるので81年目ということになりますが、自己名義(2人組ですが)の初録音は1938年なので半分くらいは本当。
で、誰のことかって?
マーヴィン・ゲイは知っていても、この人を知らない人はないと思いますが、この人を知っていてマーヴィン・ゲイを知らない人はいないんじゃないかなぁ?
もったいつけてますけど、オイラが米国で一番好きなエンターテイナー

スリム・ゲイラード Slim Gaillard
(Bulee Gaillard ; 1916.01.04.-1991.02.26.)

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SLIM and SLAM

もう好きすぎて、一時期はこの人のレコードを全部集めようと必死になって各国盤にまで手をつけていたこともある(蒐集は引退しましたが・・・)。

さて、どこからはじめましょうか?

え~まず、マーヴィン・ゲイ (Marvin Gaye ; 1939.04.02.-1984.04.01.) との関係。
マーヴィン・ゲイの二番目の妻ジャニス・ハンター (Janis Hunter ; 1956.01.05.- ) がスリム・ゲイラードの娘さん、結婚後はジャン・ゲイ (Jan Gaye) と名乗っているようです。
なので、スリム・ゲイラードはマーヴィン・ゲイの義理の父。
ノーナ・ゲイ (Nona Gaye) とフランキー・ゲイ  (Frankie Gaye) は、スリム・ゲイラードのお孫さんということになる (マーヴィン・ゲイの弟もフランキーと名乗っていたので混同されるが、弟は 「Frances」)。
マーヴィン・ゲイの1982年のアルバム「Midnight Love」の録音時には、スリム・ゲイラードもスタジオにいてハンドクラップで参加したともされてます。*1

スリム・ゲイラードについては音源や映像も含めて検索すればネット上にいろいろ転がっていますのでそこは省略、本題の初レコーディングについて触れましょう。

まず、現在のところ確認されているスリム・ゲイラード初のレコーディングは、1937年4月15日のニューヨーク、トランペッターのフランキー・ニュートン (Frankie Newton (William Frank Newton) ; 1906.01.04.-1954.03.11.) の楽団にヴォーカリストとして参加した2曲。

レコーディングのデーターは以下のとおり

1937.04.15. New York
Frankie Newton (trumpet,arrenged), Russell Procope, Pete Brown (alto sax), Cecil Scott (clarinet,tenor sax), Edmond Hall (clarinet,baritone sax), Don Frye (piano), John Smith (guitar), Richard Fullbright (bass), Cozy Cole (drums), Slim Gaillard (*vocal)
M-402-2 I'VE FOUND A NEW BABY
M-403-2 THE BRITTWOOD STOMP
M-404-1 THERE'S NO TWO WAYS ABOUT IT (*)
M-404-2 THERE'S NO TWO WAYS ABOUT IT (*)
M-405-1 'CAUSE MY BABY SAYS IT'S SO (*) 
M-405-2 'CAUSE MY BABY SAYS IT'S SO (*) 

このブログでは基本的に年月日は「yyyy.mm.dd.」で記しています (この記載だと検索しやすいので)。たとえば、今日2018年1月19日は「2018.01.19.」となります。
ディスコグラフィーでは、楽器は略号で記されている (たとえばトランペットは"t"とか"tp")ことが多いのですが、今回は略さずに記してます。
はじめのアラビア数字と記号がマトリックス・ナンバーと呼ばれるもので、末尾の枝番号がテイク数を示すことが多い。レコード会社が録音した音源の管理用につけたものだと思っていただければよいかと。
その後が、楽曲名→レコード番号や収録アルバム と続きますが、便宜上、今回はレコード番号は省略。

曲名の後ろに(*)がついたものが、スリム・ゲイラードがヴォーカルで参加した曲。
青字の2曲 "THERE'S NO TWO WAYS ABOUT IT / CAUSE MY BABY IT'S SO"が米国「VARIETY」レーベルから「VA550」というレコード番号で発売された。
バンド名は「FRANKIE NEWTON and his UPTOWN SERENADERS」、「Vocal by Slim Gaillard」とレーベルにもプリントされています。
この盤 (ちなみにこの時代はSP盤です。)、何度か入手の機会はあったのですが、送料が高すぎたり、コンディションが悪すぎたりで持ってません。基本的にこのブログでは特に明記がない限り自前の画像を使用しますので、レーベル画像はなし。
この2曲が収録されたLPはコレクター・レーベル (海賊盤?)からリリースされたフランキー・ニュートンのものしか知らなかったので、必死になって探したものです。

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FRANKIE NEWTON / SWING ON 52ND ST. 1937-1939  [JAZZ ARCHIVES RECORDINGS JA-9]

このセッションでスリム・ゲイラードがヴォーカルを務めた2曲、発売されたのはともにテイク2のほう。
ジャズのディスコグラフィーとして有名なBrian Rust "Jazz and Ragtime Records (1897-1942)"(以下「Rust版」)には登載されていない「テイク1」がTom Lord "The JAZZ Discography"(以下「Lord版」)に登載されていて、「THERE'S NO TWO WAYS ABOUT IT」のテイク1は"John Kirby / Boss Of The Bass"[Columbia CG33557 (1976.)]という2枚組LP、「'CAUSE MY BABY SAYS IT'S SO」のテイク1は"1930s : THE SMALL COMBOS"[Columbia CG33557 (1986.)]というコンピレーションCDに収録されていることになってますが未入手のため未確認。「Lord版」は、検証不足なのか誤りが多いので同一テイクの可能性が強い気がして購入は見送ったまま。*2
フランキー・ニュートン自体、リーダー録音は数えるほどしかないのですが、スリム・ゲイラードがなぜこの録音に参加しているのかも不明。たまたま、この時期ヴォーカルで一緒に演っていただけかもしれません。

で、ベース奏者のスラム・スチュワート (Leroy Elliott "Slam" Stewart ; 1914.09.21.-1987.12.10.) とコンビを組んで、スリム&スラム (SLIM and SLAM) としての初レコーディングが1938年1月19日、つまり80年前の今日ということになる。

レコーディングのデーターは以下のとおり (「Lord版」より)

1938.01.19. New York
Slim Gaillard(guitar,vibraphone,vocal), Slam Stewart(bass,vocal), acc by Sam Allen(piano), Pompey "Guts" Dobson(drums)
22318-2 THE FLAT FOOT FLOOGIE
22319-1 CHINATOWN, MY CHINATOWN
22320-2 THAT'S WHAT YOU CALL ROMANCE
22321-1 LADY BE GOOD

この日の録音は、当時発売されることなく、青字の3曲が1996年に発売された"SLIM & SLAM / THE GROOVE JUICE SPECIAL"[COLUMBIA/LEGACY CK64898]で日の目を見ることになる。

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SLIM and SLAM / THE GROOVE JUICE SPECIAL [COLUMBIA LEGACY CK64898]

ちなみに、この1月のレコーディングに関して、米国の「ケイデンス・ジャズ・マガジン (Cadence Jazz Magazine)」用にダグ・ロング (Doug Long) がスリム・ゲイラード本人に行ったインタヴュー中で、「フラット・フット・フルッジー」は「最初デッカに吹き込んだ」と答えているのですが、次の2月の録音にマトリックス・ナンバーが引き継がれているので、この1月の録音をデッカに吹き込んだものと考えるのはつじつまが合わない。もしも、デッカ版「フラット・フット・フルッジー」が録音されているのならば聴いてみたい!
・・・つづく・・・(かも)

*1:CD"slim gaillard / serching for you;THE LOST SINGLES OF McVOUTY 1958-1974"[SUNSET BLVD RECORDS SBR-7905 (2016.)]の英文ブックレットより

*2:ジャズを愛するFB友から、CD"1930s : THE SMALL COMBOS"に収録された「'CAUSE MY BABY SAYS IT'S SO」はテイク2と同じものだと教えていただきました。2018.01.20.追記

ちょいと出てから80年 ♪ ♪ あきれたぼういず ♪ ♪

♪♪ ちょいと出ましたあきれたぼういず ♪♪
♪♪ 暑さ寒さもちょいと吹き飛ばし ♪♪
♪♪ 春夏秋冬明けても暮れても ♪♪
♪♪ 唄いまくるはあきれたぼういず♪♪f:id:koichi65oba:20171108065452j:plain
テーマソングとともに現れる四人組 あきれたぼういず
とびきり好きなグループだ!
この四人組の結成が昭和12年、西暦でいうと1937年
今年2017年はグループ結成80周年になる。

「グループ」と記したが、この四人はミュージシャンではない。
軽演劇(喜劇)の役者、吉本興業所属の芸人で、米国風に言えばボードビリアンのチームだ。
メンバーを記しておこう。

川田義雄明治40年東京生まれ (1907.03.15.-1957.06.21.)
坊屋三郎明治43年北海道生まれ (1910.03.28.-2002.05.25.)
芝利英 (しばりえい):北海道生まれ (?-1945.)
益田喜頓:明治42年北海道生まれ (1909.09.11.-1993.12.01.)

芝利英の正確な生・没年月日は調べてみたがわからなかったが、坊屋三郎実弟であり、第二次大戦に召集され戦地でなくなっている。
四人ともいわゆる芸名で、芝利英はフランス出身の俳優モーリス・シュヴァリエ(Maurice Chevalier)、益田喜頓はアメリカの喜劇俳優バスター・キートンBuster Keaton)に由来することは明らかだろう。他のふたりの芸名の由来については長くなりそうなので別の機会に譲ることとしておく。 

あきれたぼういず誕生のきっかけは資料によって細かな違いはあるものの次のようなものである。

浅草花月劇場 (昭和10年11月10日オープン) の「吉本ショウ」に出演していた若い連中が「ショウ」のマンネリ化に嫌気がさして何か面白いことがやりたいと掛け合ってショウの中で一景を演じる許可をもらい受け、楽器演奏ができた川田義雄坊屋三郎芝利英の三人が当時の流行歌にオチをつけて演じたところ、これが客に大受けし、以来ショウの一景を「あきれたぼういず」として演じることになり、程なく芝利英の推薦で益田喜頓が加わり四人組の「あきれたぼういず」誕生ということになる。
三人組の「あきれたぼういず」誕生から四人組の「あきれたぼういず」誕生までが昭和12年 (1937年)の出来事という点は一致しているので今年2017年が結成80周年といってしまってかまわないだろう。
1997年には「ボーイズ誕生60周年記念 笑う地球に明日が来る-ボーイズ・バラエティ-」「ボーイズ誕生60周年記念 リズムは笑う ボーイズ・バラエティー」と2種のCDが企画・発売されているので、「あきれたぼういず」誕生の1937年をボーイズ芸誕生元年としていることは明らかだ。

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今年2017年が「あきれたぼういず」誕生80周年にあたる年にもかかわらず、ネット上でそのような記事も見られなかったため、12月31日という2017年最後の日に急遽ブログにしたためた次第、滑り込みの投稿のため記述の誤りあるやもしれないが許されたし・・・

結成翌年に録音・発売された「あきれたぼういず」の音源はこんな感じ。

長年、事実上の廃盤状態でオリジナル・メンバーによるあきれたぼういずの音源を聴くには中古盤で探すしかなかったので、YouTubeに投稿したオイラ所蔵のSP盤から録音した全曲リンクしてしまおうと思ったが、なんとそのCD『ぼういず伝説』が2017年07月19日に配信限定で発売されていたので、リンク先を貼っておくので、興味を持たれた方はそちらで購入してくださいませ。

www.jvcmusic.co.jp

 

http://hw001.wh.qit.ne.jp/ko-1jive/index.html